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誰でもお気軽にコメントどうぞ。過去記事や微妙に趣旨ずれてても気にしない系のかりょです。
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最近、作品鑑賞日記となりつつある今日このごろ、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は寝不足です。自業自得ですね、はい。

というわけで。
レンタルDVDの中の人の機嫌で、ずっと今までお預けだったギルクラ最終巻がやってきましたー。
supercellの歌はやっぱりいいですね。歌詞も曲も。

あらすじは……、すでに前半とか曖昧になってますが、ざざっと。

少しだけ未来。
「ラストクリスマス」に起こった、謎の奇病の蔓延により、GHQによって封鎖された日本。
次第に肉体が結晶化していくという奇病に怯えながらも、日常を過ごす日本人達。
人づきあいも自分の感情を表現することも苦手な高校生、桜間集(おうま しゅう)は、死んだような日々を送っていた。
その彼の運命は、怪我を負って逃げる少女と出会ったことで動き始める。彼女はウェブミュージシャン「EGOIST」のボーカル楪いのり(ゆずりは いのり)。

いのりが持って逃げていた物を、訳も分からず受け取る集。
それは、人の心を取りだし武器として扱う「ヴォイド」の能力だった。
いのりは、レジスタンス「葬儀社」のメンバー。そのヴォイドは、リーダーの涯が得るはずのものだったと言う。

「ボーイミーツガール」という王道ストーリーでありながら、
「封鎖された日本」という絶望的な環境。
「キャラクターと、その心が作りだす武器」という人物の作り込み。
そこに、「奇病が生まれた理由」と、「特殊能力を得たただの高校生の歪み」が絡んできて……、

と言う感じで。
物語としては面白かったです。
絵もきれいだし、ぬるぬる動くしで、見て損する作品ではないかと。
ヴォイドのデザインなども、武器というより装飾品のような感じで、美しかった。衣服関係……とくにいのりのはものすっごい構造が謎というか、アレな感じですが、見て格好いいのは確か。
登場人物のすれ違いや、ちょっとした「うまくいかなさ」がもどかしくって、切なかったです。
都合のいい「正解」がどこにもなくて、手探りで体当たりで不器用な人々は、どこか悲しい。

この先の感想はネタバレ含みますので、続きに収納。

***********

なんだろう?
「人類の進化」「淘汰と次のステージへ」「地球四度目の黙示録」
……と、大風呂敷を広げた割には、あっけない最終話だった気もしますね。
集は確かに、挫折と暴走を経て成長はしましたが、それでも「世界を救う」に足る器ではなかった気がします。
彼はただずっといのりだけを救おうとしてただけで、世界救済はあくまで副次的なものだったと思います。
それはそれで良かったのかもしれませんが……、救おうと思ってない者が、ついでに救えちゃうほど世界って軽くていいのかな?って疑問が。
それなら救済するのは、日本とか東京だけでも良かった気がします。

結局、集たちは何と戦っていたんだろう?

「マナ」ではないでしょう。彼女も結局は被害者ですし。
「ガイ」でもないでしょう。彼は常に集の味方であったと、私は解釈しています。
GHQか?というと、それでも少し違う。彼らは彼らの仕事をしていただけですし、最終戦では集の援護に回りました。
では、「ダアト」でしょうか?確かに、「人類の意思決定」という割には、人類は滅びに抵抗していたわけですし、人類の意に反して、人類を滅亡させようとしていた……と言えます。
しかし、ユウを倒しても、黙示録は止まらなかった訳ですし、ユウの言葉が事実だとすると、彼らは実体のある個ですらなく、かりそめの王を祭りあげた実体のない影でしかないわけです。

ただ、まあ、最終的には「愛」の物語だったのかな、と思います。
やっぱり集が何と言おうといのりは「化け物」なんですよ。他者をあれほど一心に愛することは、ヒトには出来ないと思います。
彼女に比べたら、マナの方がまだまだ人間的です。
そのマナもまた、愛によって動いていた。ガイも、葬儀社メンバーもしかり。
そして、集ももちろん。

こうして見てみると、ダアト/ユウは誰を愛していたのでしょうね?
そういう見方では、やはりダアト/ユウが敵だったと思っていいのでしょうか。

……とまあ、強引で大風呂敷で説明不足なところもありましたが、読後感……いや、観後感?はよかったと思います。
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